“究極の選択”に屈するとき ~ 『ポセイドン・アドベンチャー』を観る

自分が生まれる前の映画だろうとなんだろうと、観たい映画を観て感想を書きます!
そもそも、レンタルビデオ屋に並べられた時点で、新しいも旧いもないのです。
WOWOWの放送プログラムに並んでいる時点で、観る側にとっては新作も旧作も同列なのです。
だから2012年の夏に、『海猿』の新作が公開されているこの夏に、『ポセイドン・アドベンチャー』を観て感想を書きます!

と、こんな前置きが必要なほど、『ポセイドン・アドベンチャー』のレビューを書くには、あまりにも月日が経ちすぎています。
とはいえ、あらためて『ポセイドン・アドベンチャー』を観た僕に求められるのは、そのレビューを書くか書かないか、という“究極の選択”でしかありません。
もっと多くの人に読まれやすい人気作品のレビューを書くべきではないのか、時間の浪費ではないのか、と自問自答するものの、結局はこうして『ポセイドン・アドベンチャー』の前に屈するしかありません。
そう、ジーン・ハックマン演じるスコット牧師が、最初から最後まで“究極の選択”の選択を迫られ続け、ついには屈してしまうように。

映画序盤、まだ豪華客船「ポセイドン号」が穏やかに航海を続けていた頃、スコット牧師は信者を前にして、神へ救いを求めるべきか否かという問いを投げかけます。
それはもちろん、自身への問いかけでもあるわけですが、牧師にとっては“究極の選択”です。

スコット牧師がその問いかけを発すると、あたかもポセイドンの逆鱗に触れたかのように、ポセイドン号は大津波に襲われて転覆します。
船中に残された人たちは、まず、その場でおとなしく待機するか、それとも船底に上がる(逆さまになっているので)か、という選択に迫られます。
大多数はそのまま残りますが、スコット牧師以下数名は船底に上がっていきます。

その後も、スコット牧師とその他数名は、ことあるごとに選択を迫られ続けます。
猛火の室内に踏み入るか入らないか、水中に潜るか潜らないか、船首に向かうか機関室に向かうか。
死者を置き去りにするか、自分もそこに残るか、という選択にも迫られます。

スコット牧師は、そういった命をかけた“究極の選択”に対して、ことごとく正しい選択をしていきます。
主役だから当然です。
しかしながら、スコット牧師にも、まだひとつだけ選択していない“究極の選択”が残っていることを忘れてはいけません。
そう、「神に救いを求めるべきか否か」という“究極の選択”です。
映画が終わるまでに、スコット牧師はこの“究極の選択”に答えなければいけません。
それが、クライマックスでのスコット牧師の独白へとつながるのです。
つまりは、ポセイドンから発せられた“究極の選択”に、スコット牧師は屈するのです。
どのように屈するのかは、実際にその目で確かめましょう。

『LIMIT OF LOVE 海猿』の原点ともなった、この『ポセイドン・アドベンチャー』。
「まだ観てない」なんて言うのは、今日までにしておきましょう!