無戸籍児を知り得ることに意味がある ~ 『息もできない夏』を観る

普通に生活していると、なかなか知り得ない社会の問題を浮き彫りにして気づかせてくれる。
それが、テレビドラマのもつ強さといえます。
もちろん、テレビドラマには良いところもあれば悪いところもあるわけですが。
カメラが落ち着きなく縦へ横へと視点移動していたり、ピントが手前から奥へと移ったりするのが妙に気になりますが、テーマを問題提起できれば、ドラマとしてのひとつの役割を果たしたともいえます。
『息もできない夏』を観ていて、そう感じました。

それまで、無戸籍という言葉にまったく馴染みがありませんでしたから、非常に興味深く観ていました。
そもそも、どういう状況がかさなると無戸籍になるのか。
僕の狭い見識では想像がつかなかったのです。

この『息もできない夏』を観始めて、無戸籍児の問題を初めて意識させられました。
戸籍の取得方法や、「離婚後300日規定」が無戸籍児に深く関係していることなど。
物語序盤にあって、そのあたりの描写は具体的かつスリリングで、すっきりと頭に入ってきました。
無戸籍であることから身に降りかかるであろう数々の障壁も、観ていて容易に想像がつきます。
それらの障壁をどのように乗り越えて戸籍を手に入れるのか。
それがこのドラマの大きな見どころであり、問題提起になるのではないでしょうか。

ただ、佐藤優氏が「くれぐれも漫画で基礎知識をつけようとしてはいけない」(『読書の技法』)と述べるのと同様に、くれぐれもドラマで基礎知識をつけようとしてはいけません。

『息もできない夏』においても、第5話あたりから、徐々に様相が変わってきます。
無戸籍であることの苦悩や戸籍の取得について、次第におざなりになっていくのです。

観ている者の興味は、主人公の谷崎玲(武井咲)がいかにして戸籍を取得していくのか、その一点にあるはずです。
本当の父親が誰かという問題は、かろうじて戸籍の取得に関与してはいるものの、ほとんど興味を引きません。
このあたりが、テレビドラマの限界といえるのでしょう。
往々にして、テレビドラマにおけるプライオリティは、テーマの重要性よりも扇情的に視聴者を引き付ける展開にあるからです。

しかしながら、テレビという媒体の特質上、社会が抱える問題を人目につく高さにまで浮かび上がらせることはできます。
日々数多くの作品が放映されるテレビドラマだからこそ、そうしたかたちでの問題提起を期待したいものです。