空気人形は水に沈む夢を見るのか? ~ 『空気人形』を観る

人の心をもって動きまわる人形なんて『チャイルドプレイ』のチャッキーでこりごりだと思っていたら、いわゆるラブドールと呼ばれる空気人形が人の心をもって東京の街を徘徊するというではないですか。
まるで乙一の小説にありそうな話ですが、ラブドールを彼女にして家族に紹介したりする男の映画を観た記憶もあります。
なぜ空気人形が突然人の心をもったのかは分かりませんが、ある朝目覚めると巨大な虫に変身していたグレゴール・ザムザに比べたらだいぶマシのような気もします。
と、なんとはなしに色々なデジャブを引き起こされながら、是枝裕和監督の『空気人形』を観始めました。

とにもかくにも、ある朝、空気人形がむくむくと動きだし、立ち上がって歩き出し、朝日を浴びつつ朝露に触れたときには、もうすでに半人間として行動を始めます。
初めて外の世界を見るわけですから、空気人形のノゾミ(ペ・ドゥナ)は、当然のごとくまずは行き交う人々の行動言動に興味をもちます。
挨拶する人、ゴミを捨てる人、仕事をする人。
では、人の心をもったノゾミが、次に興味を示すものはなんでしょうか?
赤ん坊として生まれてからずっと人の心をもっている我々には、様々な想像が浮かぶことでしょう。
まだ初々しいノゾミの心を瞬時に奪ったのは、映画でした。
正確にいうと、レンタルビデオショップに興味を惹かれるわけですが、映画がノゾミの心を刺激したのです。
映画こそが人の心そのものだということでしょうか。
さらにノゾミは、そのレンタルビデオショップの店員純一(ARATA)に一目惚れし、そこで初めて心をもってしまったことを自覚します。

その後、ノゾミはそのレンタルビデオショップで働き始めます。
憧れの男性に近づきたいがために同じバイト先で働くなんて、思春期の女子高生のようで、やっぱりチャッキーとは違うんだなぁと、観るものは暖かな気持ちに包まれます。
純一との距離も順調に近づいて、甘美なムードが漂います。
といっても、純一の胸中には実は秘めた変質的な性的欲求があるわけですが。

レンタルビデオショップで働き始めてからというもの、ノゾミは次々と映画の知識を身につけていきます。
ノゾミが実際に映画を観ていたのかどうかは分かりませんが、どうやら『リトルマーメイド』は観ているようにも思われます。
というのも、“アリエル”という名前を二度耳にしてからというもの、水のイメージがノゾミの中で膨らみ始めるからです。
純一と二人でお台場まで海を見に行き、心の中では水中に沈み込むイメージを描きます。
そのイメージが夢なのか空想なのかは分かりません。
いずれにしろ、身体が空気で満たされている空気人形であるノゾミが、現実に水に沈むことはありません。
アリエルが地上に出たいと願ったように、ノゾミもまた水中に潜り込めるようになりたいと望んだのでしょうか。

ただ、アリエルとは違って悲劇的な結末を迎えることになる空気人形は、「やっぱりチャッキーじゃないか!」と怯えさせたりもするのですが、その一方で、ノゾミの純粋な“望み”は痛切に人の心を打ちます。
人の心を打つことは、人の心にしかできません。
そういう意味で、本当にノゾミは人の心をもっていたといえるのでしょう。